音楽的イコンとしてのバッハ「ロ短調ミサ曲」

この講演は、1995年3月28日 Ball State Universityで、大学の合唱団による「ロ短調ミサ曲」の演奏時に、Douglas Amman博士のすすめにより、Timothy A.Smith 博士(School of Performing Arts, Northern  Arizona University)が行ったものである。博士の講演を英文で読みたい方は Bach's Mass in B Minor as Musical Icon  をお読みください。

この翻訳は、シュナイト・バッハ合唱団の「ロ短調ミサ曲」ホノルル公演に備え、曲のよりいっそうの理解のために、Smith博士の許可を得て団員向けに印刷し配布したものです。今回ホームページ上での発表についても博士から快諾していただきました。素人の翻訳で、誤りもあろうかと思いますが、お気づきの点は私宛ご連絡いただきたいと思います。Email : tadjin@pop06.odn.ne.jp です。

目    的

何故芸術"する"のか  
イコン:礼拝芸術の一形式

      * イコンは生まれ変り 
     
* イコンは神秘的
     
* イコンは説教的 
     
* イコンは劇的

結論

  

310年前の、先週の火曜日に、全身全霊をもって神を愛した人が生まれました。その人とはジョン・セバスチャン・バッハです。彼はあなたがたや私が決して経験したくないような苦しみや悩みを経験しました。彼の両親は彼が10歳の時に亡くなり、30代の半ばに彼の妻と4人の子供が亡くなりました。2度目の結婚による16人の子供のうち大人になるまで成長したのは6人だけでし(注4)

この寡黙な人は自分自身や自分の感情についてはほとんど何も言いませんでした。しかし、彼の音楽がそれをすべて物語ってくれます。その音楽の中に我々は彼の悲しみを聴きとることもありますが、それ以上に大きな歓び、ユーモア、生きる事への情熱を感じることが多いと思います。また、私たちには彼の深い敬虔と帰依の心の鼓動が聞こえます。そしてロ短調ミサ曲ほど、この気持ちの明らかなものは他にありません。

最初にこのミサ曲がこの世に現れたのは1733年で、この時バッハはKyrieとCrucifixusをザクセン選帝侯フリードリッヒ・アウグスト二世に献呈しました。この選帝侯はポーランド国王位をも継承する資格を得る為に、その時改宗しなかった妻を捨ててまでもローマン・カトリックに改宗していました。

バッハは彼のドイツ語のカンタータをラテン語に直してこのMissa Brevisを拡大し、通常のミサ通常文一式を創りました。従って、その起源という意味では、このロ短調ミサ曲は謎に包まれています。プロテスタントによるラテン語の作品で、ローマン・カトリックの礼拝でも、ルター派の礼拝でも使えない曲ですから。

目的

Dr.Ammanから1月にこの講義を準備するよう依頼されていらい、50分間で意味のある講義にするためには何を話すべきかを考えてきました。その結果ロ短調ミサ曲は確かに偉大な芸術ですが、芸術としてのアプローチのほかにイコン − 礼拝と教育の為に創られた宗教的なオブジェクト −としてのアプローチができると思っています。Christoph Wolffの言葉を借りれば、作曲家自身がこのミサ曲を”クリスチャンとしての信条と音楽家としてのそれを一つに結合する無上の機会”と見ていました。私の言う”イコン"は最近使われる”アイコン”(注5)ではなく、むしろ歴史的な意味、特にギリシャ正教の芸術史の中で最も豊かで変化に富む伝統の一つで、私たちが知っているいるように、見開かれた目、傾けた頭、光背、生き生きとした色、敬虔に重ねた手をもった像を描いたイコンのことを意味します。西欧の人の心では実際問題として理解不可能な程に深い、神への献身を示す人々が描かれる、あの芸術のタイプのことを考えています。 

何故芸術”する”のか?

イギリス人作家 C.S. ルイス(C. S. Lewis)は”我々が読むのは、我々が我々のみでいるのではない(We are not alone)ことを知る為である”と書いています。私は、これが、何故芸術”する"のかを考える大変いいスタートラインだと思います。私たちが”シンドラーのリスト”(Schindler's List)で苦しみ、シェイクスピアの”から騒ぎ”(Much Ado About Nothing)で笑い、ミケランジェロの”David像”の若さのもつ強さと理想主義を賞賛し、ギベルティの”天国の門”やレオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」に驚くのは、我々がわれわれのみでいるのではないことを知るからです。我々がルノワールの“Diana”の恍惚とさせる繊細さに我を忘れたり、ドビュッシーのフォーン(半獣半人の林野牧畜の神)を聴きながら、春になっての初めての暖かな午後を怠けて過ごすことができるのも、我々はわれわれのみでいるのではないことを知るからです。ダンテの”神曲”の地獄に近づくにつれて恐れおののくのも、ペンデレッキの”Threnody"の悲鳴におどろくのも、我々は我々のみでいるのではない事を知るからです。これが芸術のなんたるかであり、これゆえに私たちは芸術”する”のです。そして、この事ゆえに「ロ短調ミサ曲」を演奏することに確かな意味があります。

イコン:礼拝芸術の一つの形

イコンは生まれ代わり

しかし、我々が我々のみでいるのではないことを知る為に芸術”する”ならば、イコンの目的は、神が確かに私たちと共にいることを示すことにあります。イコンはまず真っ先にその生れ代わりです。この生れ代わり(incarnation)という言葉は、神の子がマリアの胎内に宿り、ナザレのイエスが真の神でありかつ真の人である、つまり神が私たちと共にいる、というクリスチャンの信仰から来ています。ダマスカスのセント・ジョンはイコンの目的を”身体も形も限界もない神は過去においては表しようがなかった。しかし、いまや彼は肉体を持ち人々と共にいるので、見えることを願う神を木板に描いて人々に見せ、神のことを考えさせることが出来る。”と弁護しています(注6)。

C.S.ルイスの”我々が我々のみでいるのではないことを知る”という芸術の目的とダマスカスのセント・ジョンの”神が我々と共にいる”というイコンの目的は、双方とも、ジャン・ポール・サルトル及び今世紀の他の人々の実存主義哲学とは、はっきりと違います。実存主義者は人類は極めて孤独な存在で、神はおらず、意味のない世界をただよう一方、恐ろしくなる程の選択の自由をもつ存在として描いています。イコンの目的は、特に、その全く逆なこと、すなわち、創造者は、創造した人間を放置したままで勝手にさせはせず、人間へのあふれる愛を抱いて、活動し、共に考え、心づかいをしていると主張してきました。したがって、この生れ代わり信仰はキリスト教信仰の中心をなすものです。それは歴史における最も重要な出来事としてみられているのみではなく、人間の能力では説明不可能、いや、理解することすら不可能なミステリーと考えられています。バッハはこのミステリーを、特に女性に人気のあるマリア − 肉体を持つ神の母 −の上に下る聖霊を下行する三和音(triads)で表現しています。

生れ代わりの教義は、初期のキリスト教芸術の芸術家達に、特にギリシャ正教の伝統において、重要な流れをつくりました。第一に、それは創造されたものすべてが善良であることを肯定しました。ギリシャ哲学の教えでは、この世を精神の腐敗の場とみていましたが、これとは全く反対に、キリスト教徒は、もしも聖霊である神が、完全に人の姿をして現れるとするなら、その言葉は、すくなくとも基本的な精神的真理を表現できるものに違いないと説きた。

西暦787年のニケア(Nicea)での第2会議で、バッハのミサ曲のテキストのかなりの部分が出来ましたが、それだけでなく、芸術家が神をシンボルとして表現することが許可されました。これにより、教会、特にビザンチン教会は、自然主義というよりは精神的な表現を強調するタイプの芸術を生み出せるようになりました。ヴィジュアル・アートの芸術家は、芸術的なリアリズムと偶像を禁止する第二戒を破る可能性との間の微妙な境を表現しなければなりでした。

西欧の伝統では、線、形、色彩、動機、フォルムというような芸術の要素は、美しくなるよう意図されたもの(たとえば、一枚のマドンナの絵はその芸術家の愛人を表現しているのかもしれないのです)ですが、東方のイコンにおいては、これらの要素は、神をよびだすように意図されています。形、手のおきかた、表情、用具、フォルム、すべてが何かを意味していました。単に何かを意味していただけではなく、人間及び創造の中に、神の現われを見ることが出来るように創られたのです。こうして、イコンは単なる芸術的作品というのではなく、精神的な工芸品であり、深い敬意と崇拝に値する聖宝であります。

ギリシャ正教芸術における”生まれ代わり”という考え方は、音楽的には18世紀の愛の教義と相通じています。この教義によると、音楽は歓び、悲しみ、愛などを単に描くのではなく、それらをよびおこすものであります。ニコラス・アーノンクール(注1)は、例えば、18世紀の楽器編成は調和理論に支配されていると書いています。自然な音である倍音系列しか出せない楽器 −たとえばトランペット、ホルン等 − は、神または最高位の王族を具現する特別な場所を与えられていました。芸術作品は精神的真理を単に表すだけでなく、その真実を物理的な形に具現させるものという信条は、バッハのこのミサ曲では、以下のQuoniam tu solus Sanctus・・・の歌詞の内容を規定する為のナチュラル・ホルンの使用にあらわれています。  

バッハはQuoniamではイエスの神性を現すのにナチュラル・ホルンを使っていますが、2番目のKyrieとCrucifixではCirculatioとして知られている興味深い動機を使い、キリストとその十字架を表しています。この動機を検討するとすぐ一時間ぐらい経ってしまいますが、今は、バッハは、これを彼のカンタータと受難曲のなかでKreuz(十字架)またはChristusという言葉に使っているというに留めましょう。彼はこの動機のみでなく、ギリシャ語のChi(x)、これは初期のキリストまたは十字架のシンボルですが、これを同じ言葉にかえて使っていることがよくあります。

次の例ではバッハの説教上な興味があきらかに見て取れます。上で述べたCirculatio つまりKyrieの最初の4つの音(Example 3b)は直ちに十字架を表す音の要素と分かりますが、これは第3動機で憐れみを保証する神とCrucifixの十字架(Example 3a) にかけられた神とが同じであることを意味しています。

 

 

 

イコンは神秘

先に神の生まれ代わりという教義は、キリスト教徒は信じるが、合理的に説明できないものであると説明しました。それはミステリーであり、それゆえに神の存在とその行いとは超絶的で、創造主は彼の創造物により制限をうけないという確信を表しています。時間と空間を創造したものは時間と空間に制限されることはなく、宇宙を支配する法則を創った者はその法則に拘束されることはないのです。神が超絶的であるとするなら、意識には明らかにならない精神的な現実というものもありえます。その現実は、目の前にあり我々に関わり合いのあるものですが、普通の合理的な手段、方法では認識不可能なのです。これを認知する方法は、むろん、信仰です。おそらく次の言葉でもっともよく表現されていると思いますが、一種の”知る”(knowing)という行為です。"Lord, I believe...help Thou my unbelief."(信じます...信仰の無い私をお助け下さい)(マルコによる福音書9:24)

この超絶という理念は、芸術作品への人間の理解を超える「精神的な現実」があることを暗に示すタイプの芸術として、イコンとして現れます。イコンはこの事を暗示しますが、それを見ただけで、その意義を深く考えなければ意味を認知できません。Example 3はロ短調ミサ曲の中のそういう神秘的な暗示を二つ示しています。ロ短調ミサ曲のKyrieの主題は14のピッチでできていて、その合計は41になっています。BACHの合計が14、JSBACHの合計が41ですから(注3)、これは明らかにバッハ自身を描いています。同様にCrucifixusにおいても、自分の名前を音楽として表し、それを逆さにして十字架の動機を創っています。このような自己表出は、18世紀の宗教画家がその絵の中に自己を描き(注2)、「精神的な現実」を自分のものとしている者の神秘さを表わす習慣になぞらえることができます。

さらに神秘的な表現の一つは、Credoの中のPatrem Omnipotentemの動機にみられます。ここで、バッハはすでに前の楽章で扱ったCredo in Unum Deumをもう一度出していることが注意をひきます。この四語をもう一度出した理由は、この動機において、合計14語で、84の文字を作り出す為だったのかもしれません。既に14という数字の意味はわかっています。しかし84はどうでしょうか。ちなみにこの数字は、バッハの手書き原稿の最後にかかれている数字です。

さて、この楽章には、84の小節があります。バッハは単に84小節を数えたのでしょうか。高名なバッハ研究家のフリードリッヒ・スメンド(Friedrich Smend)の答えはノーです。84という数字は天と地(coeli et terrae)の創造(factorem)を表す神秘的な意味をもつと言うのです。Example 4を検討してみて下さい。

スメンドは、このテキストは”音楽創造者”バッハにとって、それが”あらゆるものの創造者”としての神を意味するという点で、特別な意味があったという考え方を提案しています。ギリシャ語を学んだものとして、バッハは、”創造者”に相当するニケア信教中のギリシャ語”は"poieten"だと知っていた筈です。これは私達の言葉では"poet"(詩人)ですが、意味の上では"artist"(芸術家)に近い言葉であります。バッハの神秘的な意図は、神が混沌に形と秩序を与えて宇宙を創造した過程を表現するため、音に形や形式を与えて音楽により実現したかったということなのかもしれません。

イコンは説教的

イコンの第三の特徴は説教が目的ーつまり神がどのようなものかを忠実な信者達に教えることにあります。このミサ曲のテキストはきわめて説教的ですが、バッハは言葉だけではできないようなやり方で、音楽的に、さらに強力なことをやっています。例えば、CrdeoのEt in unum Dominumにおいて、第2ソプラノ(アルト)の旋律は、ずっと第1ソプラノの旋律をカノン風に模倣し続けています。このカノンはgenitum non factum(造られずして、生まれ)を描くためのみではなく、イエスの言葉 − ”子は、父のなさることを見なければ、自分からは何事もできない。父がなさることはなんでも、子もそのとおりにする。父は子を愛して、ご自分のなさることをすべて子に示すからである。(ヨハネによる福音書 5:19) − をくわしく描いているのです。この底には、神と共にありながら、一方で人間というキリストの二重性の理念があります。この二重性を表すサインとして、バッハは従うものが、何も考えずにカノンで真似するのは許さず、ある程度の独立した動きを与えています。しかも、連続的に時間とピッチの間隔をおきつつ、カノンで従うもの(キリスト)は、リーダーである”父”により音として生み出され、常に父の意志を行っています。

ミサ通常文の五つの部分の四つーKyrie, Gloria, Credo及びAgnus Dei - は三つのセクションで構成されています。最初のセクションは神である父に、第2は神である子に、第3は神である聖霊にあてられています。例えばGloriaの最初の5行は父を(訳注:歌詞ではGloria in excelsis Deo から Deus Pater ominipotentsまで)、次の数行が子を、最後の行で聖霊を崇めています(訳注:Cum Sancto Spiritu in gloria Dei Patris, amen)。最初の区分、すなわち三位一体の第一、第二人格との間のそれは、ソプラノとテナーの為のバッハのデュエットであるDomine Deusに現れます。Example 6aを検討して下さい。アンダーライした最初の文章は神である父を、第二の文章は神である子にあたります。

作曲家は通常これらのアイディアを二つの動機に分けます。しかしバッハは違います。彼はそれらを一つの旋律に結合するだけではなく、ソプラノに三位一体の一人格を歌わせ、同時にテナーに他の人格を歌わせます。こうして、二つの文章が混ざり合いつづけながら聖なる三位一体の不可分性を表現しています。(Example 6bを参照)このようなテキストの混ざり合いはトレント会議(1545-1563)の最後の年の間に好ましからぬものとされ、後に法王令により禁止されました。禁止の理由はテキストが理解できなくなり、礼拝に不適というものでした。しかしながら、バッハにおいては、このテキスト混合は”私と父とは一つである”(ヨハネによる福音書 10:30)というイエスの言葉を詳しく説く為のものでした。 

 

イコンは劇的

教会のイコン芸術は、彫像、十字架、フレスコで描いた天井、ステインド・グラスで、救世主、使徒、予言者、殉教者、聖人の話を描いています。最後の、そして最も重要なイコンの機能とは、忠実な信徒達を全能の神の前に導くことであります。このミサ曲のSanctusは6という数字の意味に支配されて(注8)、私達を神の前に導くのです。この6は予言者イザヤが神にであった時の彼の予言書、イザヤ書第6章の次の一説を思い起こさせます。

「ウジア王が死んだ年のことである。私は高く天にある御座に主が座しておられるのを見た。衣の裾は神殿一杯に広がっていた。上のほうには、セラフィムがいて、それぞれ六つの翼をもち、二つをもって顔を覆い、二つをもって足を覆い、二つをもって飛び交っていた。彼らは互いに呼び交わし、唱えた。”聖なる、聖なる、聖なる万軍の主。主の栄光は、地をすべて覆う。”」

これらの天使は畏るべき者達だったにちがありません、というのもイザヤは次のように続けています。「この呼び交わす声によって、神殿の入り口の敷居は揺れ動き、神殿は煙に満たされた。”災いだ。私は滅ぼされる。私はけがれた唇の者。汚れた唇の民の中に住む者。しかも、私の目は王なる万軍の主を仰ぎ見た。するとセラフィムの一人が、私のところに飛んできた。その手には祭壇から火箸でとった炭火があった。彼はわたしの口に火を触れさせて言った。”見よ、これがあなたの唇に触れたので、あなたの咎は取り去られ、罪は赦された。”」

イザヤの神との出会いで伝わるメッセージは、人が神の前に出られるようになる前に、その罪は赦されていたに違いないという事です。これがバッハのロ短調ミサ曲のドラマの出発点です。それは、キリスト教の最も古い礼拝の言葉であり、かつ、元のギリシャ語テキストから生き残った唯一の部分、”主よ、憐れみ給え”(Kyrie eleison)という祈りです。

しかしあわれみをうける為には、償いがなければ、つまり誰かがその代償をはらわなければなりません。キリスト教徒は誰かが、つまり神自身の子、世の罪をとり除いた神の小羊が払ったと信じています。

イエスの十字架の死が、このドラマの中心です。バッハはこれを音楽的には、繰り返される二つの楽章、Gratias(神の栄光を神に感謝する)とDona Nobis Pacem(われらに平和を)の中間にCrucifixusを置いて表現しています。バッハがここでアイディアが無くなったなどと片時も思わないで下さい。彼がここでGratiasの音楽を繰り返しているのは、キリスト教教義においては十字架が中心をなすものであることを劇的に表現したかったからなのです。この種の強調は、chiasmusとして知られる18世紀のレトリックですが、これも十字架のもうひとつのシンボルでもあります。バッハはこれを類似した部分のちょうど真ん中にくる部分、ドイツではHerzstuckと言いますが、それに焦点をあてるために使っています。ロ短調ミサ曲のHerzstuckであり、ドラマの中心はCrucifixusの設定です。

結論

私達の非宗教的な社会、特に公立大学でイコン芸術についてお話する場合の、問題点を考えつつ結論したいと思います。この講義には、礼拝に関係する芸術を議論することを、あまり快しとしないと感じる人が殆であろうと思います。この不快感はおそらく感情を傷つけたり、公的機関を使って宗教的信条を是認したりしたくないとか、あるいは芸術作品としてのイコンが意味するものをまともに考えたくないという気持ちによるものと思います。

このような懸念は正当なものですが、それはしばしば芸術表現のイコンを破壊し、目に見える形でその機能を取り除くということに現れます。ロ短調ミサ曲はよく研究されており、その方法は例えば以下のようなものです。(1)形式的に(formalistically) ー いかにバッハはメロディー、ハーモニー、対位法、形、音色などを使うか(2)感情的に(affectively) ー このミサ曲がどのような感覚、ムード、感情を聴衆にあたえるか(3)起源的に(genetically) ー この曲が出来た時の状況はどうだったか(4)性格的に(generically) ー このミサ曲と他のミサ曲との比較するとどうなるか、といった方法です。

確かにこういう視点での問題提起は重要ではありますが、それらに対する答えは、どう高く評価しても、以下のような問題提起にくらべると表面的なものと言わざるを得ないと思います。その問題提起とは、このイコンは、我々について、我々の希望について、我々の苦悩について、我々の歓びについて、我々の苦労について、我々の失敗について何を語りかけているのか、あるいは、このイコンは我々の人生について、神について、我々に何を語りかけているのだろうかというようなことです。

8,9世紀のビザンチン達は、芸術は無力で神について何も語れず、また神、使徒達、予言者達、聖人達、殉教者達を芸術的に表現することは、危険である、なぜならそれは人を偶像崇拝ー十戒の第2番目をやぶることーにみちびくからであると教えました。これらの人々は小アジアにひろくおり、イコンを破壊しました。私たちの使う言葉、"iconoclast"は、聖像破壊主義者、伝統や一般に好まれている考え方や制度を破壊しようとする者という意味ですが、、それは彼らに起源があります。

私が言及した不快感は、聖像破壊主義者ようなビザンチン達の風潮から生まれた不快感と同じでありえましょうか。私は単にあなたがたにうかがいたいのです。私たちは現在、私達の公立学校、公園、裁判所で、マリヤとキリスト生誕像がひっくり返されたり、燭台が壊されたりするのを見ていますが(後書き参照)、それをするのは、1000年前に小アジアに浸透した聖像破壊主義とは異なる種類の"iconoclasts"達なのでしょうか。教会の代わりに、今では国家が教会と国家とを分けるべしと言う自身の掟を破ることを恐れてイコンを破壊しているのですが。

私は芸術家として、私たちは、西洋の芸術が内包する基本的な精神性の要素を拒むことは、その芸術および人間精神に対する暴力行為であるという考えに合意できる事を願っています。アメリカの桂冠詩人ロバート・フロスト(Robert Frost)は書いています。”詩が書かれる時はいつでも、それは熟達した技巧で書かれるのではなく、信念により書かれています。”この言葉で私は、教育者としてまた芸術の消費者として、私たちが芸術から信念をとりさったら、残るのは単に熟達した技巧だけになるのではないかと考えるのです。確かに熟達した技巧は知的な力を活き活きとさせますが、それは心を冷たくおきざりにしてしまわないでしょうか。ロ短調ミサ曲はこのうえなく美しいメロディー、素晴らしいフーガ、古様式のコーラス、輝くようなコンサート音楽 からできています。− つまり、これらは熟達した技巧のなせる業です −ということは、ややもすると今述べた重要なポイントを見失うことにならないでしょうか。

フランス人の印象派画家・彫刻家のピエール・オーギュスト・ルノワール(Pierre Auguste Renoir)は、次のように書いています。”地域社会の為の絵は、画家とその社会とが世界を同じヴィジョンで見ている時は可能でした。”私は、20世紀後半の聖像破壊主義は、共通のヴィジョンをもたない社会 − 4月15日までに所得税を払う以外には何も一緒にはしない −社会を作り出しているのではないかと疑っています。そのような破壊主義観が芸術に適用されると、ミケランジェロの”アダムの創造”(Creation of Adam)には、二人の男がいて、一人は裸でいるという以上のものを見ないでしょう。しかしイコンは、神がアダムに鋭い眼差しをむけ、力をこめて彼の創造物に手を伸ばして届こうとし、その活動、集中力、関心がみてとれます。また、アダムは、ぼーっとして神の方に背中をねじり、ほとんど自分自身に何が起きているのか分からずに、力の抜けた手首をのばし、頭を半分ねじりつつも、やはり届こうとしています。聖像破壊主義者達はバッハのロ短調ミサ曲のなかに美しい音のみをきくのだろうと思います。しかし、イコンは我々に、神の声が、”恐れる事勿れ、私は常にあなたと共にいる”と言っているのを聞かせてくれるでしょう。

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1)講演者注:アーノンクール:Baroque Today:Music As Speech (Portland, Oregon:Amadeus Press, 1982)p.62

2)講演者注:ルーカス・クラナッハ(兄)がワイマール(バッハが働いた町)の町立協会に祭壇を造った時、彼の十字架の絵は、当時の通常の十字架の表現と異なっていました。三人の姿が描かれていたのです。一方に洗礼者ジョン(ヨハネ)がキリストを指差し、第2の人物としてマルチン・ルターが聖書の中の一節、I John 1:7の”神の息子、イエスの血が、我々のすべての罪を洗い流す”を指差しています。第三の人物はルーカス自身で、ロビン・リーヴァーによれば、救世主の側からクラナッハの頭の側に画面を横切って流れる薄い血筋により、ルーカス自身が十字架の恩恵を個人的に被っている姿が描かれている(Leaver, Bach as Preacher p.26)

以下訳者注

3)数字84の意味

3-1)数字6=神学的には神による6日間の創造
     
=音楽の上ではもっとも響きの良い音の番号
     
=数学の上では最初の完全数

3-2)数字3=天の象徴
3-3)数字4=地の象徴
3-4)数字14=BACHを表す
3-5)数字41=SBACHを表す
3-6)数字43=CREDOを表す。

3-4)〜3-6)は、A,B,C,D,E,F,G,H,I=J, K,L,M ・・・・を、それぞれ数字1、2、3、4、5、6、7、・・・・を当てはめて計算する。ドイツ語ではIとJが同じ発音の為、I=J=9とする。(Smith博士よる)

4)バッハは2度結婚し、一度目の結婚で7人の子をなし、2度目の結婚で13人、合計20人の子をなした。そのうち6人が成人したと伝えられる。

5)このアイコンは、コンピュータで使われるものを意味すると思う。

6)AD740頃、イコンは偶像崇拝だという非難が教皇からあったようで、その時ダマスカスのヨハネがこれを弁護した。

7)Et incarnatus estの歌いかがたが”無から有を生じるような”歌い方と要求されたのが理解できる。

8)バッハは数字をベースに曲の構造を緻密に設計したようである。ヘルムート・リリング氏は次のように書いている。Sanctusのところで「6という数字はこの楽章の細かい点で目立ったつながりをもっている。コンティヌオを含めると6群になる編成、バッハにあってはまれな6声部の合唱、幾度も出てくる6回続きの3連音群、ティンパニのリズムを作っている6個の音、そして楽句の多くが6小節の長さなどであることなどが、この数に重要な構造上の意味を与えているのである。もっと明白なのは3という数が支配的なことである。3連音による基本リズム、3群にわかれ、それぞれが一体となって同じリズムで動く楽器群ートランペット3本、オーボエ3本、3部からなる弦楽器群ー冒頭の3唱されるSanctusの叫び、それが全部で3回なされること、そしてこの楽章の楽句構成にとって3という数が大いに重要であることは明白である。」(シンフォニア発行、ヘルムート・リリング著、松原茂訳、バッハ・ロ短調ミサ曲 p129、)

後書き

この部分(結論の第4パラグラフ)については、わかりにくい事情なので、スミス博士に尋ねた。

「・・・・・ところで、ご質問の点についてですが、アメリカ合衆国建国の歴史においてジェイムス・マディソンと憲法草案製作者のトーマス・ジェファーソンとの間に有名な書簡のやりとりがあります。この書簡でジェファーソンは、彼の言う”協会と国家の分離”について言及しています。この分離は、国家が教会に介入したり、国家宗教を設立するのを防ぐ為のものでした。

合衆国の歴史を通じて、人々は彼らの家庭の中で、あるいはその周りで、燭台(7本のローソクを立てられ、ユダヤ人の祭りの明かり)やマリアとキリスト生誕場面を飾る自由を感じていました。これらの飾り物は、公共の場である、裁判所、学校などの場所によく飾られてきています。それほど遠くない過去のことですが、人々はこれを政教分離の原則を犯すものとは見ていませんでした。しかし、最近、市民のなかに、こういう宗教的なシンボルを飾った公共の場所を訴えるものがでてきました。このことにより、今では、訴えられるのを恐れて、一般的に宗教的なシンボルを飾ることを避けるようになってきたのです。・・・・」

                                                                                                                                                                                (翻訳:秦泉寺忠興)